誰でも納得のいかないこと、違和感を感じることがあると思いますが、私にとってのそれは、就職がうまくいかなかった友人が音信不通になったり、上司に友人がパワハラを受けて精神を病んでしまったり、挙句にはその上司はそのまま昇進したり…ということでした。
最初は、見る目のない面接官や社会に呆れ、パワハラ上司に怒り、その上司を昇進させたそのまた上司の正義感や倫理観の弱さに嫌悪感を抱いていました。ただ、こういったことは一定の確率で起こってしまうことも事実です。選考という制度がある限り誰かは落ちるし、上司と考え方が合わず認められないということも一定の確率で発生する。もちろん、パワハラの加害性を許すべきではないものの、「他人に受け入れられない」「人間関係で傷つく」という要素それ自体を、人生から一切排除するのは非常に難しい。
ある程度そういうことが起こって当たり前なのであれば、誰かに受け入れられなかったり傷つくことがあっても、人生が変わるほど落ち込んだり気に病んだりする必要はないはずです。それにも関わらず、ハラスメントや鬱、孤独が社会問題として扱われるほどに、多くの人が傷ついてきました。そういった意味では、気が合わない人や心無い人の言葉を真に受けてしまうほどに自分の”価値”や存在意義に自信を持つことができないこと、また存在意義を感じにくい社会や文化の方が問題であるように思います。
こう書くと少し大げさに聞こえますが、実際のところ、私たちの多くは常日頃から自分の価値や、ヒエラルキーの中での位置づけに悩まされています。大企業や高年収を凄いと感じたり、インスタのキラキラ投稿にモヤモヤすることもあれば、逆に自分がヒエラルキーの下位に位置づけられないよう、例えば頭が悪いと思われたくない、仕事ができないと思われたくない、友達が少ないと思われたくないなど、「価値のない人間」と思われないように、毎日必死に生きています。
特に、経済的価値を尺度とするヒエラルキーの存在感は強大です。年収や資産額、会社の知名度や役職、フォロワー数、学校の偏差値、持っている服のブランドや旅行先など、ありとあらゆるものが最終的にこのヒエラルキーでの位置づけ材料になります。とはいえ、ほとんどの人は「お金持ってる方が偉い」「賢いほうが偉い」などと心から思っているわけではありません。ただ、資本主義的価値観があまりにも巨大すぎるがゆえに、ただ無意識の間に巻き込まれ、不必要に焦りや不安を煽られています。
ここで注意したいのは、資本主義的な「価値」というのは極めて相対的で、競争的なものであるということです。例えばあなたの年収が1億円でも、平均年収が2億円なら、あなたは低所得層です。ヒエラルキーの上下で存在意義を測ろうとする限り、あなたが”上”に行けば誰かが”下”になり、全員が幸せになることは有り得ないどころか、競争はどんどん激化し、終わりのないラットレースの中で永遠に消耗し続けることになります。
対して本来、自分の存在意義というものは、この世にそれを測定する尺度が存在しない以上、自分が有ると思えば有るし、無いと思えば無いような、主観的かつ直感的なものであるはずです。他人に必要とされている、愛されている、認められていると感じることの積み重ねによって育まれ、例え心無い人に何を言われようと、その積み重ねの事実がなかったことにはならないようなものです。
だからこそ私は、最も重要なのは、自分の存在意義を疑わなくて済むような「積み重ね」であり、積み重ねるための人間関係だと考えています。自分を受け入れてくれている、愛してくれている、認めてくれていると思える人がいれば、多少のつらいことや心無い言葉で揺らぐことは減るかもしれませんし、例えばそういう人間関係が10人と築けたならどうでしょうか?自分は不要な人間だとか価値がないと感じるでしょうか。もしパワハラをする上司にもそういう友達が10人いたら、そこまで攻撃的な言葉を浴びせることがあったでしょうか。
しかし残念ながら、現実では多くの人が孤独の中で生きています。2023年の内閣府の調査では、20~50歳代の約半数もの人々が、孤独感を感じると回答しています。そんな状況では、存在意義を感じやすい社会になるはずもありません。ブギウギは、そんな現状をどうにかしたくて設立した会社です。より多くの人に信頼できる人間関係ができるように、より多くの人が存在意義を感じられるように、より多くの人が他人を傷つける必要がなく、より多くの人が独りで傷つくことがないようにと思い設立した会社です。
ブギウギでは、一緒にこの理想を追求してくださる方々をお待ちしております。出資、協力はもちろん、アプリの宣伝、友達へのシェア、公式SNSのフォロー等、様々な形でご支援いただければ幸いです。興味を持って頂いた方は、どんな形でも構いませんので、ぜひ一度ご連絡ください。
株式会社ブギウギ代表取締役 中西達彦